399_アルクラウンド
アルペンの曲で使われているアルクラウンドっていい曲ですね♪(^ー^)
歩きながら聞いてたら、元気が出て、また歩きたくなりました。
まさにアルクラウンド♪リハビリ頑張るぞぉo(*^▽^*)o
アルクラウンド By サカナクション
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PS:
木村カエラさんのバタフライ(CM:ゼクシィ)という曲も元気が出ました(^^)
バタフライ By 木村カエラ
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アメリカのタイムズという雑誌で紹介された話です。(^^)
2007年7月4日は、20世紀最期のアメリカの独立記念日でした。
ニューヨーク港には、記念日を祝うために、世界中の帆船や戦艦などが集まりました。
その翌日に事件は起きました。
イギリスの豪華客船であるクイーンエリザベス二世号が、日本の海上自衛隊自衛艦の「かしま」の船首に接触してしまいました。
クイーンエリザベス二号の船長は船を着岸させると、すぐに機関長と船海士を「かしま」に派遣し謝罪のメッセージを送りました。それに対して、「かしま」の船長はこう答えました。
幸いにして損傷も軽く、特に気にしておりません。
それよりも、女王陛下にキスされて光栄に思っております。
この粋な返答は話題になり、アメリカ中のニュースで紹介されました(^^)
ある日、大金持ちの社長が病気になり入院し、余命はあとわずかと診断されました。
男は、成人した息子3人を枕元に呼び寄せ、ある問題を出しました。
3人のうち一人だけ会社を任せよう。
お前たちに1ドルずつ渡すから、そのお金で買い物をしなさい。
ただし、夕方、この病院に戻ってきた時、お前たちが買った品物で、この部屋を隅から隅まで満たすことが条件だ。
息子たちは、それぞれ町に出かけて、その1ドルを使いました。
夕方、病室に戻ってきた息子に父親は尋ねました。
一番目の息子よ、お前は1ドルで何を買ったのだ?
父さん、私は、友人の農場に行って干し草を買いました。
そう言うと、息子は、干し草を部屋中に撒き散らしました。
一時、部屋は干し草でいっぱいに満ちたかに見えましたが、しばらくすると、干し草はみんな床に落ちてしまいました。
二番目の息子よ、お前は1ドルで何を買ったのだ?
父さん、私は、羽根枕を買いました。
そう言うと、息子は、羽根枕の中身の羽根を部屋じゅうに撒き散らしました。
一時、部屋は羽根でいっぱいに満ちたかに見えましたが、しばらくすると、羽根は床に落ち着いて、部屋を満たしませんでした。
三番目の息子よ、お前は1ドルで何を買ったのだ?
父さん、私は、1ドルを、小銭にくずしました。50セントは聖書に書いてあるようないいことに使いました。それから、20セントを町の慈善団体に寄付し、もう、20セントは教会に寄付しました。それで、残りは10セントになりました。その10セントで、私は2つのものを買いました。
息子はポケットに手を入れると、小さなマッチと細いロウソクを取り出しました。ロウソクに火をつけ、部屋の電気のスイッチを切ると、部屋は満ちました。干し草ではなく、羽根でもなく、部屋は隅ずみまで、この明かりに満ちました。
父親は喜びました。
よくやった。息子よ。お前に会社を譲ろう。
お前は自分の光を輝かせる方法を知っている。
それこそが、人生の極意だよ。
私の好きな話です(^^)
ロウソクで満ちた明かりは、大変綺麗な輝きだったと思います。
ついつい、私たちは、相手を喜ばせようとしてしまいますが、相手を喜ばせることよりも、自分を喜ばせることの方がもっと大切だと思うのです。今、皆さんの心は輝きで満ちていますか(^▼^)
最近、市長の不祥事が相次いでいますね・・・
そこで、今日は、私の好きな市長の罰金の話をアップします(^^)
ニューヨークの市長にラガーディアという市長がいました。
彼は市民から大変親しまれており、ニューヨークにあるラガーディア空港も彼の名にちなんだものです。
ラガーディアは市を良くするために、市の様々な部署で職員の代わりに現場で働いていました。ある日、ラガーディアは刑事法廷で法廷を取り仕切ることになりました。法廷に連れてこられたのは、パンを盗んだ男でした。その日はとても寒く、男の家族は植えに苦しんでいたため、やむえなくパンを盗んでしまったのです。
ラガーディアは、その男に、こう言いました。
法律に例外はありません
罰金10ドルとします
そして、ラガーディアはポケットから10ドルを取り出し、自分の帽子に入れてこう言いました。
これが、あなたが払う罰金の10ドルです
そして、ラガーディアは法廷にいる傍聴人に対して、このように命令しました。
食べるために盗みをしなければならない街に住んでいる罪として、この法廷にいる全ての人に罰金50セントを命じます。廷吏は罰金を集めて被告に渡しなさい
法廷では帽子が回され、ラガーディアが最初に入れた10ドルと合わせて、全部で57ドル50セントのお金が集まりました。パンを盗んだ男は、その中から罰金10ドルを払い、
幸せそうな笑顔を浮かべて法廷を去っていきました。
聖書に、こんな言葉があります。
裁いてはならない。
そうすれば、あなたがたも裁かれないであろう。
あなたがたが人を裁くように、自分も裁かれ、
あなたが計るそのますで、あなたがたにも計り与えられるのである
302_罪と罰
関が原の合戦では、東軍(徳川家康)と西軍(石田光成)に分かれて合戦が行われました。
西軍の中心人物には、大谷吉継という武将がいました。彼は、とても優秀な武将で豊臣秀吉からの厚い信頼を受けていました。
しかし、彼は不幸にもハンセン病に侵されてしまい、皮膚がただれてしまい、顔は常に布などで覆っていました。
ある日、彼は、豊臣秀吉の茶会に招かれました。秀吉の誘いを断るわけにもいかず、彼は出席しました。しかし、秀吉の立てた茶を作法通り飲み、次の武将に渡そうとした時に事件は起こりました。抑えられなかった彼の鼻水が湯のみの中に落ちてしまいました。
茶会に出席していた他の武将たちは、彼の病気のことを知っていました。そして、普段でも、彼から回ってきたお茶は、飲むふりをするという人も多かったと言われています。今回は、さらに、鼻水入りです。その場の空気は凍りつきました。
その時です。
いやぁ!のどが渇いてたまらない!
大谷殿!その椀を私に!!
ある男がそう言って湯のみを受け取ると、一気に鼻水入りの茶を飲み干しました。その男は、石田光成です。大谷は、光成のおかげで、秀吉や多くの武将達の前ではじをかかずに済みました。
関が原の合戦では、小早川の裏切りにより、石田光成は一気に劣勢に追い込まれました。大谷軍の人数は1000人でした。彼も、徳川家康から裏切るように連絡を受けていましたが、彼は、裏切りませんでした。20000人を超える敵軍に立ち向かい、最後は敵軍に追い込まれ、潔く自害しました。
391_いたずら
のように、相手の思いやる気持ちがあるからこそ、人の絆は強くなるんですね。
歴史が好きなので、今日は、徳川家康の話を・・・
関が原の合戦に勝ち、江戸幕府を開いたのは徳川家康です。関が原の合戦に勝てたのは、徳川家康の人望の厚さであったと言われています。
豊臣秀吉が関白だったころの話です、秀吉は諸大名を集め、自分の持つ宝物を自慢し、家康にどんな宝物を持っているかと尋ねました。徳川家康はこう答えました。
私は、田舎の生まれですので、珍品と呼べるようなものは持っていません。しかし、私が頼りにしている武士が500騎ほど配下にいます。私にとって一番の宝は、彼らです。
それを聞いた秀吉は、自分もそんな宝が欲しいと答えました。
そんな家康の故郷である愛知県で洪水が発生しました。川に架かっていた橋が流されてしまいました。家康は、すぐに新しい橋をかけるように、部下に命令しました。しかし、部下は、橋を架けずにおけば、他国の兵を防ぐことが出来ると反論しまいた。その意見に家康はこう答えました。
住民達にとって橋は必要なものだ、それに他国の兵を防ぐために、私が川を頼る必要はない、お前達を頼ればいいのだ
これを聞いた部下達は、感動し、すぐに橋をかけました。
家康と部下には信頼という壊れることのない橋が架かっていたのですね♪
今日は、「あなたは誰ですか?」という手話について書きたいと思います。
現在、日本で使われている手話の一つは、視覚や聴覚に障害がある子供達のために設立された京都聾唖院で生まれました。
この学校の生徒達は、家族や周りの人達とコミュニケーションをとるために、様々な表現方法を自然に身につけていました。耳の聞こえない子は身振り手振りで、目の見えない子は触れることなどで、自分の気持ちを伝え、相手のことを知ろうとしていました。それが、次第に統一されていき、手話の原形になっていったとされています。
その原形となった手話の一つに、「あなたは誰ですか?」という手話があります。皆さん、ご存知かも知れませんが、この手話は、手の甲を使って、相手の頬を2、3回さすります。
何故、手のひらではなく、手の甲か?
目の見えない子供達は、いろいろなものを手のひらで触って確認をしていました。このため手が汚れることが多く、相手のことを知ろう手のひらで触ってしまうと、その人の顔を汚してしまいます。
このため、、「あなたは誰ですか?」という手話は、手のひらではなく、手の甲を使って表現することになりました。
相手を思いやる優しい気持ちが、この手話には込められているんですね
363_テーブルマナー
世の中には、いろいろなテーブルマナーがありますね。
今日は、私の好きなテーブルマナーの話を・・・(^^)
昔、アフリカの王族がイギリスを訪れた。イギリスの女王は、これを歓迎し、晩餐会に招いた。しかし、その王族は、未開地地域に住んでいたため、テーブルマナーを一切知らなかった。テーブル上に置かれたフィンガーボールを見ても、食事中に手が汚れた時に指先を洗うための水だとは考えられなかった。そのため、アフリカの王族は、それを飲み水だと思って飲んでしまった。
格式を重んじるイギリスの王族の晩餐会であったらめ、周りの人達は、その様子におどろいた。心の中であきれたり、あざ笑ったりする人達もいた。そして、女王が間違いを指摘し、マナーを教えてあげるものだと思っていた。
しかし、女王はそれをしなかった。なんと、アフリカの王族と一緒になって、フィンガーボールの水を飲みだしたのである。それは、アフリカの王族が恥をかかないようにという女王の配慮であった。
391_いたずら
のように、相手を思いやる気持ちがある人だからこそ、こういうことが出来るんでしょうね(^^)
江戸幕府の14代将軍・徳川家茂は、生まれつき病弱な身でありながら13歳で将軍に着任した。彼は、良い将軍であると文武両道に努め、多くの幕臣から厚い信頼を得ていた。
書の名人として知られていた幕臣の一人に、戸川播麿守安清がおり、彼が家茂に書道を教えていた時のことである。
家茂はとてもよい生徒で、まじめに練習をしていた。しかし、彼は、ある日、突然、書道で使っていた硯(すずり)の水を、安清の白髪頭にかけて、手を叩いて笑い出した。同席していた側近達は、将軍らしくないことをしたものだと嘆いた。そして、安清も泣き出してしまった。その様子を見て、側近達は、安清は、自分に対する振る舞いを情けなく思って泣いているのだと思った。そして、しばらくしてから、安清は側近達に打ち明けた。
自分は歳をとってしまったために、ふとしたはずみで失禁してしまったのだ。将軍様の前で失禁など、厳罰は逃れられぬ失態。しかし、将軍様は、私に水をかけて、失禁を隠してくださった。そんな配慮をしてくださる優しさが嬉しくて泣いたのだ。
こんな優しい将軍だったからこそ、勝海舟らの驀進からも、厚い信頼を得ていたんですね(^^)
アリスは笑いながら言いました。
そんなのやるだけ無駄だわ!
ありえないことなんて信じられないもの!!
すると女王様は言いました
そりゃ、お前が練習していないからだよ
私は、お前の年頃には、日に二十分間は練習したものだわ
ええ、時には、朝食の前には、六つもありえないことを信じたくらいよ
By ルイス・キャロル 不思議な国のアリス
そうそう、ありえないなんて言ってはいけない。
さて・・・リハビリ、リハビリ♪(^^)
ほとんど回復の見込みがない難病のかかった女の子がいました。
女の子が助かるための。たった一つの方法は5歳の弟に血を分けてもらうことでした。その弟も、同じ病気にかかっていましたが、奇跡的に助かり免疫が出来ていました。
そこで、医者は、小さな弟に、このことを説明して、お姉さんに血を分けてあげられるか聞きました。弟は、ほんの数秒迷っていましたが、大きく息を吸い込んで言いました
「うん、いいよ。
ぼくの血で、お姉ちゃんが助かるんだもん」
輸血は、順調に進み、お姉さんの頬は、だんだんとピンク色に染まってきました。姉の横に寝ていた弟は、それを見てにっこりと笑いました。医者や看護婦達もつられて笑いました。
ところが、しばらくすると、弟の顔は、青ざめ微笑みが消えてしまいました。弟は震えた声で医者に聞きました。
「ぼくは、もうすぐ死ぬの?」
まだ、幼くて、医者の説明が理解出来なかったのです。
弟は、お姉さんを助けるためには、自分の血を一滴残らずあげなければいけないと思い込んでいたのです。
この話はスタンフォード大学病院での話です。
5歳の男の子には大変勇気のいることだったことでしょう。
本当の勇気について考えさせられました。
クリスマスの出来事です。
ポールは兄さんからクリスマスに新車をプレゼントしてもらいました。ポールがオフィスから出てくると、街でよく見かける少年が、そのピカピカの新車の周りを歩き回っていました。よほど、その車が気に入ったらしく、少年はポールに話しかけてきました。
少年「この車は、おじさんのかい?」
ポール「ああ、兄貴からのクリスマスプレゼントさ」
少年は、それを聞いて、ひどく驚きました。
少年「えっ!?おじさんの兄さんがくれたって!?おじさんは全然お金を払わなくて良かったの!?うわぁ!凄いなぁ!ぼく・・・」
少年は何かを言いかけましたが、そのまま口をつぐんでしまいました。
ポールは、少年が、
「ぼくにも、こんな兄さんがいたらな」
と言いたかったのだろうと思いましたが、少年の口から出た言葉に耳を疑いました。
「ぼく・・・おじさんの兄さんみたいになりたいなって思ったんだ」
ポールは、少年の顔をまじまじと見つめて言いました。
「この車に乗ってみるかい?」
少年を喜んで言いました。
「本当に!?うん!!」
車を走らせてまもなく、少年の目はキラキラと輝き始め、言いました。
「おじさん、ぼくの家の前まで乗せてくれる?」
ポールは思わず、ニヤっとしました。
きっと、こんな大きな車で帰ってくるところを近所の人達に見せて自慢したいんだなと思いました。しかし、その憶測は、またも外れました。
「あそこに階段がついている家があるでしょう?
そこで、ちょっと待っててくれる?」
少年は車を降り、駆け足で家に入ってきました。
しばらくすると家の中から、ゆっくりとした足音が聞こえてきました。
少年は身体の不自由な弟を背負って出てきたのです。弟を階段の一番舌に座らせて、車がよく見えるように弟の体を支えました。
「ほら、バディー、見てごらん。
さっき言ったとおり、凄い車でしょう?
そこにいるおじさんの兄さんがクリスマスプレゼントにくれたんだって。
それも、まるっきりタダでくれたんだって。
お前も待ってなよ!
兄ちゃんが、いつかきっとあんな車をお前に買ってやるからね。
そうしたら、いつも話しているクリスマスの綺麗な飾りを、
その車に乗って見に行こうね! 」
それを聞いたポール何も言わずに車を降りると、少年の弟を抱き上げ、新車の助手席に座らせました。目をキラキラ輝かせた少年も、その横に乗り込むと、三人はドライブに出かけました。本当に素晴らしいクリスマスのドライブになりました。
あと、一週間でクリスマスですね!メリークリスマス!!(^▼^)
僕は小さくて、野球もフットボールもまだ出来ない。
だって八歳になってないんだもの。
それに、ママは僕が野球をはじめても速く走れないって言う。
足の手術をしたからね。
でも、僕は、ママに言ったんだ。
早く走れなくてもかまわないんだ
って。
だって、僕が球を打つとぜったいに、野球場の外に出ちゃうんだから・・・。
走る必要がないんだ。
あとは、歩いてホームインするんだ!
リハビリ中に読んで元気が出た話です
そうそう・・・走る必要はない・・・
時間がかかっても、目的地まで、歩けばいいのだから♪(^^)
ボビーは、子供達を連れて身にゴルフに行き、入場券を買おうとした。
「入場料は幾らかい?」
ボビーがチケット売り場に聞くと
「大人が3ドルで、7歳以上の子供も3ドル、六歳まではタダだよ。子供達は何歳だい?」
と若い男が答えた。
ボビーは
「えっと・・・こっちの将来の弁護士が3歳で、あちらにいる将来のドクターが7歳だから、私も入れて合計6ドルだな」
と言った。
すると
「お客さん、ずいぶん景気がいいじゃないか、宝くじでも当てたのかい?
うまくやれば3ドル節約出来たのに・・・
上の息子さんが6歳だと言っておけば、俺にはわかりゃしなかったのによ」
と、その男が言った。
「確かに君のおっしゃる通りかも知れない。
だがね、私の息子達は、自分が何歳なのか知っているんだよ。
しかも、嘘と本当の違いもわかっている」
テレビで年末ジャンボが宣伝しており、ふと、この話を思い出しました。
世の中不景気であり、人間同士の信頼がくずれかけている現代だからこそ、職場や家庭だけでなく、何処にいても、どんな時でも、自分が率先してよい模範を示すことが、一層求められているのではないのでしょうか(^^)
ラルフ・ウォルド・エマーソンはこんなことを言っています。
口では何を言っても、本心を隠すことは出来ません。
どうしてもまわりに伝わってしまうものですから
フランク・ズィマンスキーは、1940年代にノートルダム大在学中からセンターとして大活躍したアメリカンフットボールの選手であり、その彼がサウスペンドで開かれた民事訴訟の公判に、証人として呼ばれた。
裁判長「君は、今年のノートルダム大学チームの選抜選手だね?」
フランク「はい、その通りです、裁判長」
裁判長「ポジションは?」
フランク「センターです、裁判長」
裁判長「君のセンターとしての評価は、どんなものかね?」
フランクは証人席で決まり悪そうにしていたが、やがてはっきりした口調で述べた。
フランク「裁判長、自分はノートルダム大学始まって以来の、最高のセンターであります」
それを聞いてびっくりしたのは、裁判所で事の成り行きを見守っていたコーチだった。いつも控えめで慎み深いフランクが、どうしてそんな大胆な答えをしたのかわからなかった。
コーチは、公判が終了すると、早速、フランクにその理由を尋ねた。すると、フランクは顔を真っ赤にして答えた。
フランク「コーチ、本当は、あんなこと言うのは、嫌だったんだよ、でも、仕方が無かったんだ、だって、僕は、真実だけを述べ、嘘はつきませんと宣誓してたから・・・」
私のお気に入りのフランク・ズィマンスキーの実話です。(^^)
人は、人に受け入れてもらえば気持ちがいい。逆に人に拒絶されると傷つく。しかし、考えてみると、人に受け入られることよりも、自分で自分を受け入れることのほうがはるかに大切でまた気分がいい。逆に自分で自分を拒絶すると、それが悩みの原点になる。そこから様々な不快な気分が生じてくる。吃音も同じように考えています(^^)
小さな村の家に母親と娘が暮らしていました。
母親は日が暮れると泥棒が来るかもと鍵をしっかり閉める人でした。
娘は母親のように田舎で埋もれてしまう生活に我慢できなくなり、ある日
お母さんへ
親不孝な娘のことはどうか忘れてください
と手紙を残して都会に行ってしまいました。
しかし、都会での生活は厳しくて、なかなか娘の思うようには行きませんでした。そして、10年後、都会の生活に疲れた娘は、田舎に帰ってお母さんに会いたくなり、故郷に向かいました。
10年ぶりの故郷でしたが、家は昔のままでした。
辺りはすっかり暗くなっていましたが、窓の隙間からはかすかな光がもれていました。ずいぶん迷ったあげくに、娘はようやく戸口を叩きました。しかし、返事はありませんでした。
思わず取手にてをかけると扉の鍵が開き、部屋に上がってみるとやせ衰えた母親が床の上に一人で寝ていました。娘は、母親の寝顔の横にうずくまると肩を震わせて泣きました。その気配で気づいた母親は何も言わずに娘を抱きしめました。
しばらくたって、娘は母親に
今夜はどうして鍵をかけなかったの?
誰か入ってきたらどうするの!?
と尋ねました。
母親は優しい笑顔で、
今夜だけじゃないよ。
もし、お前が夜中に帰ってきたとき、鍵がかかっていたら
何処かに行ってしまうんじゃないか。
そう思って、この10年間ずっと鍵をかけられなかった。
と答えました。
その夜、母娘は10年前に時を戻し、鍵をきっちりかけ寄り添いながら、ゆっくり眠りにつきました。
この話を読んで、ふと、昔を思い出した。
小さい頃、どもりの真似をされて、よく泣きながら帰った。
もう、学校には行きたくないと、両親に何度もあたった。
ある日、そんな自分が嫌になり、家を飛び出したことがあった。
しかし、行く場所がなく、結局、夜遅くに、自宅に戻った。
自宅では、両親は、ご飯を食べずに待っていた。
嬉しいやら、悲しいやら、なんだかよくわからず、
泣きながらご飯を食べた記憶がある。
小学生の女の子は、クラスの子の誕生日会に行くのを迷っていました。
女の子は、お母さんに
皆に嫌われている女の子から誕生日会に誘われたの。
本当は行きたくないんだけど、行かなくてもいいかな?
と相談しました。
お母さんは
絶対に行きなさい
と言って、クッキーを焼いて女の子に持たせました。
誕生日会に着きました。
テーブルには沢山のコップやお菓子が用意されていましたが、
まだ誰も来ていませんでした。
しばらく、誕生日の子と二人で話してまっていたのですが
時間になっても誰も来ません。
その後、30分過ぎても誰も来ませんでした。
誕生日の子は泣きそうな顔をしています。
その時、女の子が誕生日の子に言いました。
二人だけだったらケーキもお菓子も食べ放題だよ
二人は笑いながら夢中になって、ケーキやお菓子を食べ始めました。
家に帰ってきた女の子がお母さんに
誕生日会、私、一人しか来なかったんだよ
でも、本当に楽しかった。
一緒に遊んだら、とても良い子だったよ
と話しました。
お母さんは
最高の誕生日プレゼントを渡せて良かったね
と言って、その子を抱きしめました。
どんなプレゼント(贈り物)よりも、誰かが一緒にいてくれるだけで幸せな気分になれる時がある。人は一人で生きられないし、誰かが自分を必要としてくれるから生きられるのだと思う。一人ではなくて、一緒にいてくれる人がいる幸せを忘れないようにしたい。今年のバースデーケーキは、病室で妻と一緒に食べることが出来た。最高のプレゼント(存在する)だった(^^)
結婚式の決まった娘のお父さんは義足をつけていました。
でも、娘の結婚式では、娘の手をとって式場に入りたいと思い歩行練習を始めました。
しかし、娘は、そんなお父さんの姿を婚約者に見せるのが嫌でした。結婚式が近づくと、お父さんの練習は更に熱心になって、どこからか白い運動靴を手に入れて歩行練習をしていました。
娘は、お父さんの気持ちは理解出来るのですが、
「結婚式でお父さんが転んだらどうしよう?
その姿を見た嫁ぎ先の家族はどう思うだろう」
と考えて悩んでいました。
結婚式の当日、練習成果もあってお父さんと歩くことが出来たのですが、フォーマルスーツ姿の父の足元が白い運動靴なのが変に思われないかと気になって仕方ありませんでした。
しばらくして、お父さんが危篤という連絡を受け、娘は病院に駆けつけました。お父さんは娘の手を取り
「お前は、夫を大切にしなさい。
お父さんは結婚式で、お前の手を取って式場に入る自身は無かった。
でも、お前の夫が毎日のように訪ねてきてくれて励ましてくれたんだ。
転ぶと危ないからと、白い運動靴まで買ってくれたんだ。」
と話しました。
娘は胸がいっぱいになって何も言えませんでした。
吃音にかかわらず、頑張っている人を応援する人と、馬鹿にする人がいますが、私は、応援する人になりたい。そして、人に馬鹿にされるくらい頑張れる人になりたい。
さて、私も、白い運動靴を履いて歩行練習を頑張るぞ!
あ・・・タイプミス・・・頑張るじゃなくて、顔晴る!!
辛いときこそ、晴れたように笑う!!
笑っていればいいことがある!!
うん♪ここが、笑念場(^^)
明治時代、公務を終えたトルコの軍船(エルトゥール号)が帰国時に嵐にあい座礁しました。トルコ人達は血だらけで、小さな村の海岸に流れ着きました。
それに気づいた村の人達は必死に救助し、その後も、助けた人の介護を続けました。しかし、小さな貧しい村だったので、十分な食料はありませんでした。しかし、彼らは、非常食の鶏までも与えて介護を続けました。
しばらくして、事故に気づいた明治政府は、援助の手を差し伸べ、助かった人達を無事にトルコに送ることが出来ました。
1985年、イラン・イラク戦争が勃発しました。
イラクのフセイン大統領は
今から、48時間後にイラクの上空を飛ぶ飛行機は民間機でも追撃する
という声明文を発表しました。
日本政府は急な事態に対応が遅れて、残された日本人を救援する飛行機を飛ばすことが出来ませんでした。現地の日本人は空港に集まりましたが、どの航空会社も自分の国民を乗せるだけで精一杯で、日本人が乗れる飛行機はありませんでした。
そのとき、時間ぎりぎりにトルコの民間機が到着して、日本人を救出してくれました。外務省が問い合わせるとトルコ政府は
私達は、エルトゥール号のことは忘れていない。
だから、日本人が困っているのを知って助けにきました。
と話しました。
トルコでは、教科書にも、エルトゥール号の話が載っているそうです(^^)
私も、入院中、エルトゥール号のように座礁しながらも、多くの方々から、勇気や励ましを頂き、無事退院することが出来ました。
退院後も、元気が出るような話をアップしていきたいと思いますので、宜しくお願いします(^^)
無事退院することが出来ました。
まだ、思うように、歩いたり、座ったりすることは出来ませんが
自宅療法にて、少しずつ、治していきたいと思います。
応援して下さった皆様、有難うございました(^^)
これからも、宜しくお願いします。
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