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2009年5月31日 (日)

314_絶対不可能

私は、家族に辛い思いをさせてしまいました。
死んでお詫びをしようと思いました。
ロープを片手に、ふらふらと岩木山の方へ歩いて行きました。
死ぬのに、ちょうどいい木を見つけることが出来ました。
木の枝にロープを投げたら、外れて下に落ちてしまいました。

私は、ロープを見つけることが出来ました。
その木に向かって、もう一度、ロープを投げようとしました。
私は、大変驚きました。
なんと、私がロープを投げたその木はりんごの木だったのです。
そのりんごの木は私に語りかけてくれました。
もっと生きろと語りかけてくれました。

By  無農薬リンゴ栽培農家 木村秋則


今日は、木村秋則さんの本を読みました。

ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、
木村さんは、絶対不可能と言われた無農薬リンゴ栽培を成功された方です。
テレビや雑誌等で紹介されていましたが、実際にどんな方なんだろうと思い、
本を読みましたが、いろいろ感じることがありましたので、ブログにアップします。

リンゴは、中央アジアやヨーロッパの山岳地帯が原産であり、高温多室の
日本には合いません。青森でさえも、リンゴにとっては、温度も湿度も高過ぎて
農薬を散布しなければ、またたく間に病害虫にやられて枯れていきます。
このため、リンゴ農家にとっては、年に十数回もリンゴの木に農薬を散布します。

木村さんの奥さんは、リンゴの木に散布するために、農薬を何年も浴びてしまい、
体調に異変を生じてしまいました。皮膚はかぶれ、水ぶくれが出来てしまいました。
そして、重い症状になってしまい、畑仕事にも出ることが出来なくなってしまいました。
木村さんは、農薬の量を減らすことは出来ないだろうかと考えました。
十数回を5回にし、翌年は三回にし、次の翌年は1回にしました。

しかし、リンゴの木には沢山の病害虫に現れ、次々と枯れていきました。
そして、木村さんは、木に群がる虫を一匹ずつとり、スーパーの袋にいれました。
一本の木が終わると、袋は虫で満杯になりました。
木村さんの畑には800本のリンゴの木がありましたので、800袋が必要でした。

今度は、農薬を使う代わりに、殺菌力のあるニンニクや葱を使うことにしました。
これを木に塗って、病害虫の対策を考えました。
しかし、病害中は木村さんの畑から去りませんでした。
そして、800本のリンゴの木は、全て葉っぱが無くなってしまいました。

ちょうど、その時は、リンゴの相場が高騰しており、
よそのリンゴ農家は大変裕福な暮らしをしていました。
木村さんの家は、無収入であり、三人の娘に新しい鉛筆を買うことも出来ませんでした。
消しゴムは、1個を三個に切って、三人の娘たちに使ってもらいました。
木村さんは、奥さんに1ヶ月の生活費を3千円でやってもらうように頼みました。

食卓には、いつも、山菜や畑で取れた雑草のようなものが並びました。
奥さんは、それを天麩羅にしたり、ゴマ油で味付けをしたりし、いろいろ工夫しました。
近所からは、木村家をカマドケシ(破産者を意味する青森の方言)と呼ばれていました。
給食費は滞納し、木村さんは何度も娘を困らせてしまいました。

そして、木村さんは、小学校6年生の娘である担任の先生に呼ばれました。
給食費のことで怒られるのだろうと覚悟していましたが、先生は、給食費ではなく、
木村さんの前で、娘さんの作文を読みました。

作文タイトル:リンゴ作りをしているお父さん
「わたしのお父さんの仕事はリンゴ作りです。
でも、私は、お父さんのリンゴを一つも食べたことはありません・・・」


木村さんは、娘に、リンゴを食べさせたくないはずはありませんでした。
しかし、木村さんのリンゴ畑には、リンゴが一個もありませんでした。
娘をこんな気持ちにさせていたなんて、何と情けないことか。
日々の苦労や悲しみ等が入り混じり、心の糸が途切れ、
木村さんは、ロープを探していました。

木村さんは、死んで、家族にお詫びをしようと思いました。
ロープを片手に、ふらふらと岩木山の方へ歩いて行きました。
死ぬのに、ちょうどいい木を見つけることが出来ました。
木の枝にロープを投げたら、外れて下に落ちてしまいました。

木村さんは落ちたロープを見つけることが出来ました。
その木に向かって、もう一度、ロープを投げようとしました。
木村さんは、大変驚きました。
なんと、ロープを投げたその木はりんごの木でした。
そのりんごの木は、木村さんに語りかけました。

もっと生きろと語りかけました。

自分は生きていいのか?自問しました。
そして、翌日、そのリンゴの木をもう一度見に行くために、
岩木山に登ることにしました。

木村さんがロープを投げた木はリンゴの木ではありませんでした。
それは、どんぐりの木でした。
木村さんは、どんぐりの木を見て、疑問に思いました。

どうして、山では、農薬も肥糧も使わないのに木が育つのか?

木村さんは、一生懸命に考え、思いつきました。
そうだ!山の状態を、自分の畑に再現すればいい!!
木村さんは、どんぐりの木のそばにある土を掘り返しました。
この山のフワフワな土を、自分の畑の土と同じにすれば良いと考えました。

畑の土は、木の根を引っ張ると、すぐに引っ張ると抜けてしまうが、
山の土は、木の根を引っ張っても、すぐには抜けない。
山の土には、生命力がある。自分の畑の土にも生命力を与えればいい
そして、畑に大豆の豆をばら撒き、これをずっと頑張りました。

何度も、何度も、努力しました。しかし、もう、家にはお金がありませんでした。
木村さんは、キャバレーの呼び込みのバイトなどをしながら大豆の豆を蒔きました
呼び込みでは、変な人に声をかけてしまい、八人に袋叩きにあってしまいました。
歯が抜けてしまいましたが、木村さんは、今の気持ちを忘れないようにと、
抜けた歯を、そのままにしておきました。
そうしたら、次々と歯が抜けてしまい、歯は一本の無くなってしまいました。
*だから、本の表紙の木村さんは、歯が無いんですね・・・

木村さんは、1本1本のリンゴの木に謝りました。
今年も駄目だったね・・・ごめんなさい・・・
そんな木村さんを見て、周囲からは、気が狂ったと思われていました。
全員が絶対不可能だと思って、木村さんのことを馬鹿にしていました。

そして、8年の月日が過ちました。
隣の農家の人が木村さんの家に走ってきました。
「おい!木村!お前んとこのリンゴ、花が咲いているぞ!!」

木村さんと奥さんは、畑に向かいました。
この目で確かめたいという思いと、見るのが怖いという気持ちが入り混じり、
木村さんは、手前の物置小屋の陰からそっと覗くように見ました。
そこには、真っ白な花に咲いたリンゴの畑がありました。

木村さんは、リンゴの畑に向かい、一本、一本の木に言いました。
「ありがとう、ありがとう、本当にありがとう、頑張ってくれてありがとう」

最後に、あの作文を書いたのは、リンゴが取れなかったことに対する
不満ではありませんでした。
子供は、子供なりに、とことん、親を信じて付き合うという思いを作文に込めたそうです。
実際、木村さんは、一度だけ、やめると言ったことがありました。
これに対して、怒ったのは、この娘さんでした。

「今まで、私たちは、何のために我慢してきたの!?」

そんな、木村さんは、本で、こう語っています。

リンゴの木は、リンゴの木だけで生きているわけではない。
周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。
人間もそうなんだよ。
人間はそのことを忘れてしまって自分独りで生きていると思っている。」


そもそも、無農薬なんて使う必要な無いんだ。
リンゴは、土の中にいる微生物と一緒に生きているんだ。
そんな微生物達を、我々が農薬を使ってリンゴの木を殺していたんだ。
無農薬が成功したのも自分の力だけではない。
家族の力があったからこそ成功したんだ・・・etc
などなど・・・いろいろ、感銘を受けた素晴らしい本でしたので、
ご興味がある方は是非♪(^ー^)

PS:
絶対不可能?
それは、成功してもらいたくない人達が使う言葉でしょう。
117_お前は無理だよ




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コメント

感動しました以上の感動でした。
目頭が熱くなりました。
 いろいろな人生があるんですね。

 私も母がやっていた家庭菜園を草だらけに出来ないと受け継いでやっているのですが、消毒しないので、やはりいろいろな病気が目立ちます。
 木村さんをお手本に頑張ります。

 不可能という言葉。そんなに単純に使っちゃあだめなんですね。
 

 
 

 

投稿: SHU | 2009年5月31日 (日) 02時42分

また思いました。
 木村さんや、木村さん以上の人生経験を重ねた人でも、ほとんどの人たちは成功にたどり着けない、それが人生の厳しさであるようにも感じます。
 成功をめざしてこん身の努力を重ねながら、挫折してしまった人たちは、過去にも現在にも無数に存在するでしょう。
 その人たちの事は、われわれには知る方法がない。

 成功者の事を学びながらも、そんなもう一方の
挫折者のことにも思いを馳せたい。
 

投稿: SHU | 2009年5月31日 (日) 08時45分

SHUさんへ

いつもお世話になっております。
私の妻の実家が農家であり、私も農薬散布を手伝ったことがあります。
これが、人間の体に入るんだ、といろいろ考えさせられた時がありました。
木村さんは、奥さんや消費者への、この思いが、奇跡のりんごを誕生させたのでは?と考えています。

実は、本田宗一郎さんも同じなんですよね。
自分の妻が楽に坂道を登る自転車は作れないか?という思いから、スーパーカブ(HONDAのオートバイ)が誕生したと言われています。
だから、スーパーカブは多くの消費者に愛され、世界的に有名になったのだと思います。

153_握手(本田宗一郎さんの人生)
http://chiisanamaru.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/153_-3c40.html

投稿: 小さな丸 | 2009年6月 4日 (木) 00時33分

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